父であり、師匠でもあった二子山親方の早すぎる死。“若貴兄弟”と呼ばれた2人の息子、長男・勝(34)=元横綱3代目若乃花=と、二男・光司(32)=元横綱貴乃花=は、病院で永眠した父の顔を呆然と見つめた。相撲ブームを作りあげた父子が、永久(とわ)の別れの時を迎えてしまった。父から受け継いだ部屋の師匠となった貴乃花親方も、タレントに転身した花田勝も、悲しすぎる現実に立ち尽くした。大好きな父が死んだ。尊敬する師がこの世を去った。音羽山親方(元大関貴ノ浪)によると、病院の霊安室に安置された親方の遺体に、2人の息子だけが寄り添う場面があったという。その後、父子3人を乗せた霊柩車は、思い出が詰まった貴乃花部屋(旧二子山部屋)に悲しすぎる帰宅をした。兄弟は、詰め掛けた報道陣にも無言で部屋に入った。
二男は春場所前に父を見舞った際、筆談で「しっかりやれ。部屋を守れ」と激励された。春場所後に約1週間病室に通ったが、その後、「騒ぎになっては迷惑がかかる。弟子を預かる身として資質も問われる」と心を鬼にして見舞いを控えた。部屋を第一に考えよ、という父の教えに従ってのことだった。一方、長男は仕事の合間に病床を見舞ってきた。2人の息子もそれぞれの立場で闘病する父に尽くしたが、報われなかった。若貴兄弟は、過ぎ去った日々を思い出した。幼いころの2人にとって、大関貴ノ花は自慢の父親だった。
「僕がパパと同じ『貴ノ花』になる。パパご苦労さまでした」。昭和56年5月29日。父の断髪式の朝に当時小学4年生だった勝は、早くも将来の夢を語っていた。
父を尊敬する気持ちは光司も同じだった。翌57年6月のわんぱく相撲東京場所4年生の部で優勝したとき、「お相撲さんになるつもり。目標はお父さんです」と言った。兄弟の目はいつも父の背中を追い続けていた。
63年に入門。その瞬間父子の縁は切れ、師弟となった。その23年前、父が兄(元横綱初代若乃花)に弟子入りしたときも、兄弟の縁を切り、師弟となった。歴史が繰り返された。
父がけいこ場で目を光らせている。関取になるまでは、朝3時から昼の11時まで約100番ものけいこをこなしたこともあった。時は過ぎ、兄弟はともに横綱になり大関どまりだった父を超えた。平成7年に横綱に昇進した弟は「やっと横綱になれた」と父とともに喜びにひたり、10年に横綱に昇進した兄は「親方がなれなかったものになれてうれしい」と胸の内を明かした。
“平成の大横綱”となった弟は、引退後の16年2月に二子山部屋を継いだ。部屋付き親方となった父が、昨年から闘病を続けてきた姿を間近に見てきた。今年2月23日には、父の病状を書面で発表。「父子のつながりを深く抱いている」と父子のきずなを再確認したばかりだった。
父は土俵上と同様に懸命に病と闘ったが、力尽きた。昭和の名大関だった父は、現役引退後の第2の人生で、親方として2横綱1大関を育てる成功を成し遂げたことで、その偉大さを増した。兄弟は誓う。親方として、タレントとして、さらに飛躍する姿を、天国の父にきっと見てもらう。
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